私はラメッシ・バルセカールにインタビューするためにボンベイに来ていた。こんにち生きているアドヴァイタ・ヴェーダンタの教師のなかでもっとも有名な人物のひとりである。彼は混沌とした大都市の中心部、ビーチに面した高級住宅地に住んでいる。タクシーの運転手の話では、辺りにはVIPの家が多いらしい。彼のマンションのドアマンは、西洋人の私を見ると、ラメッシ・バルセカールに会いに来たに違いないと察し、上の階に案内してくれた。彼の住居は広々としていて、設備が整っている。バルセカールは慇懃なホストだった。彼は真っ白なインドの伝統衣装に身を包んで現れ、私を暖かく出迎えてくれた。朗らかで快活な彼が80歳だというのは、にわかには信じられない。
ラメッシ・バルセカールの経歴はインドのグルにしては特異なものだ。彼は西洋で教育を受けると、非常に成功したキャリアを完成させ、60歳のときにインド銀行総裁のポストから身を引いた。彼はいつも運命を信じていたと話すが、霊的な探求を始めるのは仕事を辞めてからだった。探求を始めるとすぐにグルのもとへ、アドヴァイタの高名なマスター、シュリ・ニサルガダッタ・マハラジのもとへ導かれる。ニサルガダッタは炎のような教師で、1970年代に西洋で有名になった人物だ。当時、『アイ・アム・ザット』というタイトルが付された彼との対話集が英訳されたためだ。同書は霊性の分野における新しい古典になっている。バルセカールはニサルガダッタのために通訳をしていたが、グルと出会って1年もしないうちに、突如、彼が言うところの「最終理解」――悟り――に達する。バルセカールの話によれば、ニサルガダッタは死ぬ直前に彼に教えてよいと許可したらしい。以来、この誉れ高い教師の後継者として、師のメッセージを分かち合ってきた。バルセカールは教えに関する本を何冊も書き、ヨーロッパと米国、インド各地で教えてきた。マンションの自室では毎朝サットサン[霊的な師を囲む集い]を開いている。参加者は彼に会うためにボンベイまで旅してきた西洋人の探求者が主だ。
今号のWIE(※)がアドヴァイタにフォーカスするにあたって、私たちはまずバルセカールにインタビューしようと考えた。ひとつには、彼の評判と影響力――彼は生徒たちに自らの裁量で教えてよいと許可していている――がある。もうひとつは、多くの人が彼をアドヴァイタの高名なグルの後継者と見なしているためだ。しかしながら、バルセカールの著作を研究してみると、私たちはすぐに、彼が一風変わったアドヴァイタを教えていることに気づいた。正直に言えば、疑問が残る、憂慮すべき結論を引き出す教えなのだ。インド思想は決定論的だという批判があるが、バルセカールはこの決定論をかつてない程までに押し進めたように思える。私たちにボンベイでの対談を準備させたのは、結局のところ、アドヴァイタの教え全般に対する関心であり、この一筋縄ではいかない議題を究明したいという願望であった。私は挑戦しがいのある対談に心を躍らせて旅立っていた。だが、今にしてみれば、彼のリビングでくつろいでコーヒーがつがれる様を眺めている私には、これからなされる対話がどのようなものになるか、知るよしもなかったのだ。
(※)この記事を発行している媒体 "What Is Enlightenment?" の略称。