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思考と感覚

ときどき、質問者は自分の観念・信念はただの概念にすぎなかったと瞬時に理解した。彼はそういったものを捨てて、代わりに在に安らいだ。これが、私からしてみれば、マハラジの教えの真髄だ。彼は議論で確信させようとしなかった。代わりに、自分自身に議論させて、その人が真実だと感じる見解に立たせた。それからその人が持っているすべての概念の下にある基底の一瞥を与えることで、その見解を無効にさせたんだ。もし準備ができていれば、その人は自分の概念に対する執着を捨てて、その底流にあるものに安らぐ。そうでなければ大ポカをしたまま、マインドという地雷原にますます深入りしていく。一定数の人は理解した。ほかの、必死になって構造にしがみつこうとする人たちは、彼の教えをより深く理解するために用意された質問に何度も繰り返し帰っていった。

半田さんが主張するように、感覚は思考が生起させるものなのか?
ψ8の体験についてはそのとおり。
しかし言語を超す抽象度は直接体験しなくてはならないのでは?
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  • 2011-03-10 21:19
s


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